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イングランド銀行の設立

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本ページでは…

 本ページでは、イングランド銀行はイングランド王国政府の銀行として許可された民間の銀行であり、戦争の費用の調達のために設立された歴史を見る。また、イングランド銀行はゴールドスミスが行なっていた信用創造を行ない、世界で初めて中央銀行システムを確立したことを確認する。

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 前ページでは、「信用創造」についてゴールドスミスの例から見ていく。そして、紙とペンがあればお金を発行でき、借金をするとお金が生まれて借金を返すとお金が消滅すること、誰かの赤字は誰かの黒字となることを確認した。

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内容

イングランド銀行の設立

 イングランド銀行はイングランド王国政府の銀行として許可された民間の銀行であり、「戦争の費用の調達」のために1694年に民間の資本によって設立された。

 当時のイングランド王国はフランスと大同盟戦争(九年戦争、1688年-1697年)を行なっていた。フランスは当時世界最強国であり、それほどの強い国との戦争による戦費はどんどん増大していった。

 イングランド銀行が設立されるまでは国の予算は硬貨(金属貨幣)で歳入・歳出していた。以前のページで「貴金属である硬貨は純資産である」と述べたが、国全体の貴金属量はほぼ一定であることから、硬貨だけで予算を組んでいたら国の予算に上限ができていた。

 イングランド王国はフランスとの戦争のため600万ポンドの大金が必要であった。そこで、国王は増税を行なうことで600万ポンドをすべて賄おうとしたが、結果は400万ポンドしか集まらず、残りの200万ポンドをどうにかして集める必要があった。この当時はお金=硬貨という考えであったから、残る手は一つしかない。そう、残りの200万ポンドは金や銀の貴金属から硬貨を作るしかない。

 ただ、さきほども述べたが、国全体の金や銀などの貴金属量には限りがあるため、残りの200万ポンドは用意できなかった。では、イングランド王国はどうしたのだろうか?

 前回のページで、イングランド国内ではゴールドスミスの預り証が出回っていると述べたが、イングランド王国はこの預り証に目を付けた。イングランド王国は借用書(債権者はゴールドスミスで債務者はイングランド国)を担保に、ゴールドスミスから80万ポンド分の預り証(債権者は預り証の所有者で債務者はゴールドスミス)を調達した。ただ、この時代に国王が借金を踏み倒すことが多々あったため、ゴールドスミスは信用のない国王に20~30%の高金利で金貸しを行なった。

 足りない200万ポンドの内、80万ポンドはゴールドスミスから預り証として調達した。では、残りの120万ポンドはどうすればよいか。イングランド王国が困っているときに、スコットランド生まれのウィリアム・パターソンという人が「民間の出資によってイングランド王国政府の銀行であるイングランド銀行を設立し、イングランド銀行が銀行券(預り証に相当)を発行して、そこからイングランド王国が残りの120万ポンド分の銀行券を利息8%で借りればいいのでは?」とアイデアを出した。簡単に言えば、「ゴールドスミスがやっている信用創造を、政府の銀行がやってしまえ」ということである。

 これなら、利息が30%のゴールドスミスの預り証よりも安く、イングランド王国は「これだ!」と思った。しかし、何度も踏み倒してきたイングランド王国政府の銀行に国民は出資してくれるだろうか。もちろん国民は王国を信用していなかったため出資したくなかった。

 そこで、イングランド王国は法律で「将来、国民から徴収する税の一部を、出資した人に配当金として渡す」ことを明記した。この法律を財源調達法と言い、国王とはいえども法律を破ることはできないため、国民は国王は信用し、わずか12日間で120万ポンドが集まった。ここで出資とは、返さなくてよいお金であり負債ではない。ただ、イングランド銀行に出資した民間に対して配当金(最大年利8%)を支払うことを条件に出資を募った。出資と似た言葉で融資があるが、融資は返さなければならない。

 こうして、世界で初めて中央銀行システムを確立したイングランド銀行が誕生した。

イングランド銀行のバランスシート

 イングランド銀行は民間から120万ポンドの出資によって設立された。この状態をバランスシートで見てみる。

 バランスシートとは、貸借対照表やB/S、BSとも呼ばれ、財務諸表のひとつになる。え、なんか難しそうと思われるかもしれないが、とっても簡単に言うと、「資産」「負債」「純資産」の三つを表にまとめたものである。あれ、何度も聞いた単語が出てきた。そう、「硬貨は純資産」であり、「紙幣や銀行預金は負債」といってきましたが、バランスシートと関係がある。

 バランスシートは二つに分かれており、左を借方、右を貸方とよび、右と左は釣り合っている。なぜなら、前回の記事で言ったように「誰かの資産(の一部)は誰かの負債で、誰かの負債は誰かの資産」だからである。借方には「資産の部」があり、貸方には「負債の部」と「純資産の部」の二つがある。

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 イングランド銀行は、民間から金や銀などの貴金属として120万ポンドの出資を得た。出資された貴金属はイングランド銀行の資産となり、出資された資本金は返却義務はなく負債ではないため純資産となる。

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 次に、イングランド銀行はイングランド王国に120万ポンド分の銀行券を貸し出す。このとき、イングランド銀行は「債権者は所有者で、債務者がイングランド銀行」である銀行券を発行し、国が発行した「債権者は所有者で、債務者がイングランド王国政府」である国債と銀行券を取引する。つまり、イングランド銀行にとって国債は資産であり、イングランド王国にとっては国債は負債になる。また、イングランド銀行にとって銀行券は負債であり、イングランド王国にとって銀行券は資産になる。以上をバランスシートに反映すると次のようになる。

 ここで注意だが、バランスシートでは国債は「王国政府への貸付金」として記入される。貸付金とは「所定の期日に返済してもらう約束で貸し付けた金銭」のことを言うので、国債や借用書とほぼ同じ意味である。

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 この時発行した銀行券は、「所有者に対して、イングランド銀行は金銀を引き渡す」と書かれたものであり、ゴールドスミスが発行していた預り証と同じになる。このように、金や銀などの貴金属との交換が約束されている紙幣を兌換紙幣(だかんしへい)と言う。

 国債と交換された銀行券は政府のもとに行き、政府は銀行券で戦費を支払ったため、国民の中に銀行券は出回った。

認められた市中への銀行券の発行 

 イングランド銀行はイングランド王国政府への銀行券の発行とともに、市中への銀行券の発行も認められた。ただ、銀行券の発行上限は資本金と同額の120万ポンドまででして、金利は6%と設定された。

 バランスシートで見ると以下のようになる。

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  復習だが、イングランド銀行は「債権者は所有者で、債務者がイングランド銀行」である銀行券を発行し、民間が発行した「債権者は所有者で、債務者が借りた人」である借用書と銀行券を取引した。つまり、イングランド銀行にとって貸付金(借用書)は資産であり、銀行券は負債になる。

 イングランド銀行が発行した銀行券は金銀への交換を約束していたが、バランスシートを見ると、発行した銀行券の50%しか貴金属を持っており、まさに信用創造でお金が創造されている。

 発行した銀行券に対して保管している貴金属の量を預金準備率といい、顧客の引き出しに備えるための支払準備金である。イングランド銀行は発行した銀行券の50%しか持っていないため、預金準備率は50%になる。

イングランド銀行の成長

 イングランド王国政府に対して貸付に成功したイングランド銀行は、政府へのさらなる貸付の見返りとして、1697年にイングランドおよびウェールズにおける株式組織の銀行券発行の独占権を獲得した。

 信用創造を行なっていたゴールドスミス達は、金銀を預かる際に保管料を取っており、預けて利子が貰える現在とは真逆であった。ここで、イングランド銀行は銀行券に対して3%の利子を払ったことにより、国民はゴールドスミスの預り証よりもイングランド銀行の銀行券を求めて、ゴールドスミスのビジネスは崩壊した。

  また、イングランド銀行は50%であった預金準備率を徐々に引き下げて、銀行券の発行量を増やしていった。

 こうしてイングランド銀行は急成長していき、イングランド銀行の信用は確立された。そして、1716年には銀行券に対する利息の支払いをゼロにし、無利子の銀行券を発行し始めた。

 このように、イングランド銀行は世界で初めて中央銀行システムを確立した。

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 次ページでは、信用創造を行なって戦費を調達したイギリスと信用創造を行なわずに戦費を調達したフランスの戦争である「英仏戦争」について調べ、信用創造の実施の有無が戦争の勝敗を決定づけたことを見る。また、この例から信用創造の重要性と注意点を確認する。


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