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本ページでは、英仏戦争によって不換紙幣になった銀行券を兌換紙幣に戻して金本位制が制定されたこと、また、第1次世界大戦および世界恐慌にて金本位制が機能不全になったことを見る。また、金本位制の下では有効な金融政策が打てないことを国際金融のトリレンマから確認する。
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前ページでは、信用創造を行なって戦費を調達したイギリスと信用創造を行なわずに戦費を調達したフランスの戦争である「英仏戦争」について調べ、信用創造の実施の有無が戦争の勝敗を決定づけたことを見た。また、この例から信用創造の重要性と注意点を確認した。
内容
金本位制の確立
英仏戦争によって、金と交換が約束された兌換紙幣の銀行券が不換紙幣になったが、これは1797年から1821年まで続いた。この期間、通貨制度や貨幣の在り方が議論され、地金論争期間と呼ばれた。
その中で上がった意見として、「銀行券を大量に発行したことによって、物価が上昇して銀行券の価値が下落したのでは?」という声が上がり、「イングランド銀行は速やかに金との交換性を回復したほうがいい」と結論付けた。
なぜ、金との交換性を回復したほうが良いと考えたのか。それは、当時、金との交換性が回復されることによって、貨幣の供給は自ずとコントロールされて、経済は自動調整されて安定すると思われていたからである。もちろん、金にそのような効果はなく、金の総量によって通貨発行量を決めなければならない理由は本来はひとつもない。
イギリス王国政府は1816年に金本位制を制定し、1821年に銀行券と金の交換を開始した。そして、1833年にイングランド銀行券が法定通貨となり、1844年にピール銀行条例によりイングランド銀行は信用創造による銀行券発行の独占権が与えられた。
イギリスが金本位制を開始したのち、ヨーロッパ国も次々と金本位制を開始し、19世紀末には国際的に金本位制が確立した。
金本位制は固定相場制の一つであり、各国が自国通貨と金との交換比率を決定すると、金を通じて二つの通貨の為替レートが決定する。
第一次世界大戦による金本位制の中断
イングランド銀行と金本位制は戦争が引き金で作り出されたが、金本位制の中断も戦争により訪れた。
イギリスから始まって100年続いてきた金本位制だが、1914年から始まった第一次世界大戦により、各国は金本位制を中断した。これは、戦費調達のため金の政府への集中が必要になり、金の輸出と金との兌換を停止せざるを得なくなったからである。その結果、兌換紙幣ではなく不換紙幣が出回って、管理通貨制度が始まった。
管理通貨制度とは通貨の発行量を中央銀行が調節する制度であり、金の保管料から通貨の発行量を決める金本位制と対になった制度である。
第一次世界大戦が終戦した後の1919年にアメリカが金本位制に復帰し、再び世界の各国は金本位制に復帰した。しかし、長くは続かず、10年後の世界恐慌によってふたたび金本位制は機能不全に陥った。
世界恐慌による金本位制の機能不全
1929年にアメリカを皮切りに起こった世界恐慌によって、再び金本位制が機能不全に陥った。デフレーションとなった際には大規模な金融政策が必要になるが、通貨の発行が金の保有量によって制限されていたため、各国は有効な金融政策を打つことができなかった。
そこで、アメリカでは1933年に国民の金保有を禁止して、金1オンス=20.67ドルで国民から買い取ることによって、通貨を強制的に流通させてデフレ対策を行なった。
ただ、国民から金を買い取ったとしても本格的なデフレ対策にはならなかったため、アメリカは1934年に外国通貨当局に「金1オンス=35ドルで金を引き渡すように」という措置を取った。
この措置によって金高ドル安になり、また第二次世界大戦によって各国がアメリカに戦費として金を引き渡したため、アメリカは世界一の金保有国となった。
ブレトン・ウッズ体制
第二次世界大戦中の1944年にブレトン・ウッズ協定が締結された。ブレトン・ウッズ協定は世界経済の安定のために作られ、米ドルが金との兌換を持ち、各国の通貨は米ドルとの固定相場制を取ることを決めた。この体制をブレトン・ウッズ体制といい、金為替本位制ともいう。このように、各国は間接的に金と結びつく形の金本位制となり、世界一の金保有国のアメリカが自国通貨である米ドルの金兌換を保証した。
固定相場制とは
ここで、固定相場制について見る。第二次世界大戦後、日本円と米ドルとの為替は「1米ドル=360円」で固定された。多くの人は、「常に為替が1米ドル=360円で為替交換できる」と思っているが、実は全く異なる。
実際に行なわれていた方法は以下の二つのどちらかになる。
①中央銀行は為替要求をすべて受け入れて、固定相場になるように中央銀行は介入する
②固定相場になるように、国間の資金移動を制限する。
国際金融のトリレンマ
第1次世界大戦や世界恐慌の際、なぜ金本位制では有効な金融政策が行えなかったのだろうか。一つ目の理由としては、市場に流通させるべき紙幣の総量は金の保有量とは全く関係なく、市場の供給力に強い関係があるからである。この理由は次ページで述べるニクソン・ショックに強く関係しており、金本位制から管理通過制度への完全な移行に繋がった。2つ目の理由としては、国際金融のトリレンマが関係している。
国際金融のトリレンマとは、「独立した金融政策」、「固定相場制」、「自由な資本移動」の三つの内 2つしか実現できないという説である。現在の日本や米国は「固定相場制」以外を実現しており、EUは「独立した金融政策」以外、中国は「自由な資本移動」以外を実現している。
例えば、「固定相場制」の下で「自由な資本移動」を実現すると、固定相場で結びついている他国の金融政策に合わせる必要が生じるため、「独立した金融政策」は行えなくなる。逆に「固定相場制」の下で「独立した金融政策」を実現すると、自国の金融政策を拘束することになってしまう外国との「自由な資本移動」は行えなくなる。
金本位制を行なっていた当時において、金本位制は固定相場制の一種であるため、国際金融のトリレンマによって、金本位制の下では「独立した金融政策」か「自由な資本移動」のどちらかしか実現できない。当時、今ほどではないが「自由な資本移動(国境や関税の撤廃)」は認められていたため、「独立した金融政策」を行うことは出来なかった。
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次ページから、金本位制の終焉であるニクソン・ショックについて調べ、紙幣流通量に金が関係しているという思い込みの呪縛から全世界が解放されたことをみる。
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